「人から頼られると嬉しい」という人、結構いますよね。
私が先日読んだ本の中にも、「人は頼られたがっているのでうまく頼った方がいい」と言うような文面がありました。
人に頼られるということは、頼まれたことに関する能力が認められている、ということとほぼ同義です。
たいていの場合、「〇〇お願いしてもいい?」という言葉の頭には、(あなたは、〇〇する能力に長けているから)という文言がかっこ書きで存在しています。
だから、頼られると褒められている気になるし、嬉しくなるのは当然なのかも知れません。
でも頼られることを嬉しいと感じる人ばかりではありません。
人を頼りすぎると相手の負担になってしまうこともあるし、いつも人に頼っていると成長するチャンスを逃してしまうことにもなります。
人を頼ることは決して悪いことではありませんが、相手に負担をかけすぎないような配慮も必要です。
“頼る”という行為には3種類ある
“頼る”という行為には3種類あると私は考えています。
- とある能力に長けている人に頼るパターン
- 面倒だからほかの人に頼るパターン
- 自分でできないからできる人を頼るパターン
いずれにせよ、引き受けた場合はそれ相応の時間と労力を費やすことになります。
それがほとんどの場合「ありがとう」という言葉だけで済まされてしまうんです。
見返りは求めてはいけない、とよく言いますが、頼まれ事というのは仕事と同等であり、それに対する対価は必要だと思うのです。
見返りを求めてはいけないのは、自分から善意で行ったことに対してであって、頼まれ事とは別物です。
とある能力に長けている人に頼るパターン
ある分野において能力に長けている、効率よく正確にできる人は信頼され、評価されます。
「お金を払ってでもお願いしたい!」と頼まれたり、仕事として依頼されたりすることでしょう。
その場合、能力自体もしくは成果に対する報酬が支払われますし、企業や組織においても、個々の能力によって給与が決まります。
この仕組みは社会では当然のように思いますが、知り合いというだけで対価ゼロでやってもらおうとする人が結構いるんです。
これは私と同じくイラストを描いて副収入を得ている友人の話です。
高校からの友人の誕生日にイラストをプレゼントしたところ、とても喜んでくれたそうです。
「時間をかけて作成した甲斐があった。」と彼女も喜んでいました。
するとしばらくして、イラストをプレゼントした友人から「今度先輩の誕生日だから、イラストを描いてほしい。」と頼まれ、彼女は依頼を引き受けました。
その後、時間をかけて完成したイラストを渡したところ「ありがとう。」という一言だけで、特にその後何事もなく済まされてしまったのです。
イラストは彼女の本業ではありませんが、実際に副収入を得ています。
「イラストで収入を得ている=立派なイラストレーター」です。
友人には彼女自身がプレゼントしたいと思い、善意でイラストを作成したわけですが、友人の先輩とは知り合いでも何でもないのです。
必ずしも金銭的な報酬を渡すべき、という話ではなく、相手への配慮と労力に見合う対価は必要です。
イラストもジャンルによっては、ものすごく時間と労力を費やします。
本来、副収入を得るためのイラストを作成する時間を割くことになるのです。
そういった相手の負担を想像し、配慮することは、頼む側には不可欠です。
私はものを書くことが好きなので、長い文章を書いたり読んだりすることが苦ではありません。
うまい下手は別にして、これは一種の才能だと自負しています。
だからと言って「私の代わりに書類書いて」とか、「私の代わりに謝罪の文章考えて」とか頼まれるのは苦痛以外の何物でもありません。
自分が好きなこと、考えることだから苦にならないのであって、人の代わりにするということは全くもって別の話です。
面倒だからほかの人に頼るパターン
自分でできる、能力があるにも関わらず、自分でやるのが面倒だからと他人を頼る人は結構います。
私の主人がまさにそれです。
彼は文を書くのも読むのも苦手だし面倒だと言って、書類関係を全部私に回してきます。
確かに私がやった方が早いし、正確です。
効率を考えれば、私がやった方がいいのでしょうが、彼が目を通し、署名すべき書類ももちろんあるのです。
ですがそこで、
「書くの好きだもんね?」
と一言。
好きなことをやらせてあげている、とでも言いたげです。
あーあの顔を思い出すだけで腹立たしい!キーーーッ!
できないわけではないのに、自分でやらないで他人に頼む人はただ楽したいだけです。
家族なので報酬を求めたりはしませんが、せめて「ありがとう」の一言くらい言ってほしいです。(切実)
自分でできないからできる人を頼るパターン
苦手なことや、できないことをやるのは、簡単ではありません。
ましてや初めてやることは未知の世界で、挑戦するには勇気がいります。
「できなかったらどうしよう」という不安から、確実にできる人に頼みたくなる気持ちははわかります。
もちろん人に頼むという選択でもいいですが、はじめからそれしか選択肢がないのはもったいないです。
できるかわからなくても、自分でやってみると意外と上手にできたり、楽しかったりするものです。
それに失敗してしまったとしても、経験の幅が広がり、すべて自分の糧になるので、まず人に頼まずにやってみることも大事だと思います。
ちなみに私は散髪やネイルはセルフ派です。
はじめは案の定失敗して、外へ出るのも恥ずかしいほど奇抜な髪型になったこともありました。
3時間もかけてやっと完成したネイルは、一瞬でストーンが吹っ飛びました(笑)
なんでもはじめから簡単にはうまくいきません。
最後までやり遂げられず途中で挫折したことも何度もあります。
だからと言って、挑戦せず人に頼むことばかり選んでいたら知ることのできなかった、自分に対する新たな発見があることも確かです。
「この作業、結構好きかも」
「意外とやってみると楽しい」
そういった自分の気持ちを感じることができることも、人を頼らず自分でやるメリットです。
頼る人と頼られる人
生きていくうえで、お互いに支えあうことは大切なことです。
効率の面を考えても、会社や家庭内では適材適所で、得意な人が得意なことをやった方がスムーズでしょう。
でも、適材適所のつもりが、だんだんと頼ってばかりの人と頼られてばかりの人に分かれていってしまった…なんてことも。
人に頼むのがうまい人は、甘え上手で気軽に面倒なことを人に頼みます。
(これも一種の才能ではないかと、私は思っています。)
でも、よく頼られる人は、
- 面倒見がよく責任感が強い
- 本当は嫌でもはっきりと断るのが苦手
なという人が多い傾向にあります。
頼まれ事を断れず、繰り返し引き受けているうちに、どんどん自分の負担が大きくなってしんどくなってしまいます。
結局、よく頼る人は頼り慣れているので、たくさんの頼みごとの中の一つにすぎず、「ありがとう」の一言で済ませます。
ごく少数ではありますが、なかにはその一言すらない人もいます。
頼んだ人がどれだけの時間と労力を費やしたかなんて、見もしなければ、想像することもしません。
ちゃんと見ていたり想像できる人は、後日食事をごちそうしたり、お礼の品を渡したり、きちんとしたお礼をできる人です。
そもそもそういう人は、簡単に人にものを頼んだりはしません。
人に頼るとき、頼られるとき、どちらも経験したことがある人がほとんどかと思います。
ということはどちらの気持ちもわかるはず。
お互いに気持ちよく頼り、頼られるために、相手への思いやりと配慮を忘れないようにしたいですね。
頼れないのも困りもの
世の中には、はじめから人を頼ることしか考えていない人もいれば、その逆もいます。
私の場合、他人にものを頼むのは迷惑だろうと考えてしまい、なかなか頼ることができません。
そのせいもあって、他人と打ち解けるまでにはかなりの時間が必要ですし、大体の人とは他人行儀な関係しか築けていないようにも思います。
本当にやばい時も「お願い!」と言えない質で、なんでも自分でやろうとしてしまうのは、あまり良くないかも知れませんね。
心の距離を縮めたり、信頼を深めて良い関係を築くには、適度に周りの人を頼ることも大切だと思います。
おわりに
他人にやってもらうことは簡単ですが、やったことがないという理由で、なんでも他人に頼んでしまうのはもったいないです。
実際やってみると、思ったよりできたり、楽しくて趣味になったり、意外な才能を開花させることだってあるかもしれません。
今の時代、“〇〇 やり方”で検索すれば、なんでも教えてくれるグーグル先生がいますから。(笑)
効率ばかりを重視したり、なんでも他人に頼って生きていると、だんだんとつまらなく感じてきてしまうものです。
面倒で手間のかかることでも、人に頼まずとりあえずやってみれば、新たな発見があるかもしれません。
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